自分の卒業は自分で決める
2004年3月13日 日常俺は、高校卒業資格を得るために この学校へ来たんじゃない――
彼の卒業式で、別の卒業生が言ったコトバ
そう、あの日、私はやっと すこしだけ 卒業できた 気がする。
卒業というものは ただ 終わらせるためにするものでも
終わったからするものでもない
自分で 卒業 は決めるものだ。
学校は卒業証書をもらいにくるところでは、ない筈だ。
少なくとも この学校では。
“卒業生からの言葉”で、後輩はそう言い放った。
その言葉で、私は やっと 前に進める気がした。
もう学校にいっても、彼等に逢うことはないのだと
考えていて、きっと私は彼等の卒業式では、自分の卒業式より泣いてしまうのではないかと思っていたけれど
涙は出てこなかった。
非常に落ち着いて彼等を見守ることが出来た。
私、少し、オトナになれたのかな。
何か月か前まで
私の涙腺はゆるみっぱなしで
友達や彼を困らせてばかり いたけれど
最近は
なんとか 悲しみも 驚きも 戸惑いも
涙なしで、やりすごすことができるようになった。
心も、涙なしで 痛むこともあまりなく、受け止められるようになってきた。
非常に やりやすい。
でもこれは…
どこかで 「こんなものか」と諦めて、
信じたり 信じぬいたりしなくなって
いるからだと思う。
非常に 冷静だ。
私には 私がいまできることしか できない。
それ以上のことを求められたら、無理と断るしかできない。
断ることも、「私がいまできること」のうちだから。
彼の卒業と同時に
私は卒業した。
私は卒業と同時に
私の中の 熱い、熱い部分も
どこかへいってしまったのか
もう現状から 逃れられない
現状維持さえしておけば良い。
とりあえず いい方向にもっていければいいや
そんな気持ちが 私を 支配する。
どこへ行ったの?
だから コトバも ろくに紡げずに
毎日そうやって 、 感じることも 考えることもせずに
死んでいるの?
本当に死んじゃう前に
なんとかしなくちゃ。
彼の卒業式で、別の卒業生が言ったコトバ
そう、あの日、私はやっと すこしだけ 卒業できた 気がする。
卒業というものは ただ 終わらせるためにするものでも
終わったからするものでもない
自分で 卒業 は決めるものだ。
学校は卒業証書をもらいにくるところでは、ない筈だ。
少なくとも この学校では。
“卒業生からの言葉”で、後輩はそう言い放った。
その言葉で、私は やっと 前に進める気がした。
もう学校にいっても、彼等に逢うことはないのだと
考えていて、きっと私は彼等の卒業式では、自分の卒業式より泣いてしまうのではないかと思っていたけれど
涙は出てこなかった。
非常に落ち着いて彼等を見守ることが出来た。
私、少し、オトナになれたのかな。
何か月か前まで
私の涙腺はゆるみっぱなしで
友達や彼を困らせてばかり いたけれど
最近は
なんとか 悲しみも 驚きも 戸惑いも
涙なしで、やりすごすことができるようになった。
心も、涙なしで 痛むこともあまりなく、受け止められるようになってきた。
非常に やりやすい。
でもこれは…
どこかで 「こんなものか」と諦めて、
信じたり 信じぬいたりしなくなって
いるからだと思う。
非常に 冷静だ。
私には 私がいまできることしか できない。
それ以上のことを求められたら、無理と断るしかできない。
断ることも、「私がいまできること」のうちだから。
彼の卒業と同時に
私は卒業した。
私は卒業と同時に
私の中の 熱い、熱い部分も
どこかへいってしまったのか
もう現状から 逃れられない
現状維持さえしておけば良い。
とりあえず いい方向にもっていければいいや
そんな気持ちが 私を 支配する。
どこへ行ったの?
だから コトバも ろくに紡げずに
毎日そうやって 、 感じることも 考えることもせずに
死んでいるの?
本当に死んじゃう前に
なんとかしなくちゃ。
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