なみだ。
2004年5月19日私はすぐ泣いてしまう。
泣き虫は私にずっと取り憑いている。
本当の気持ちを伝える時、私は涙も吐き出してしまう。
それは汗をかくみたいに私にとっては自然な現象だった。
涙を人前で見られても、恥ずかしくなかったし、いまも恥ずかしいことだとは思わない。
けれど、ひとは 他人の汗や声、トイレに行くのは許せても
他人の涙は受け入れないらしい。
わたしはどうやら間違えているらしい。
わたしはカワッテイル。
わたしは人に迷惑をかけている。
誰かに向けて涙を見せることは、私にとって相手への信頼があるからであった。
わたしの大切な人物であるからだった。
けれどそれは、相手にとって、ほぼすべてのひとたちにとって、
迷惑極まりない行為らしかった。
説明しても受け入れてもらえない。
彼らの正しい常識のうえにおいては、わたしの存在など間違えているのだろう。
けれど
わたしは生きている限り
汗も勝手にかくし、涙も勝手に出てくるのだと思う。
わたしの大切な人たちは
わたしが生きていること、そして彼らの側に在ることが
迷惑極まりないのだろうか。
もし、そうだとしたら
わたしは生きていてはいけないのだと思う。
死なないよ。死なないけれど…生きていられないんだ。わたしは。
泣き虫は私にずっと取り憑いている。
本当の気持ちを伝える時、私は涙も吐き出してしまう。
それは汗をかくみたいに私にとっては自然な現象だった。
涙を人前で見られても、恥ずかしくなかったし、いまも恥ずかしいことだとは思わない。
けれど、ひとは 他人の汗や声、トイレに行くのは許せても
他人の涙は受け入れないらしい。
わたしはどうやら間違えているらしい。
わたしはカワッテイル。
わたしは人に迷惑をかけている。
誰かに向けて涙を見せることは、私にとって相手への信頼があるからであった。
わたしの大切な人物であるからだった。
けれどそれは、相手にとって、ほぼすべてのひとたちにとって、
迷惑極まりない行為らしかった。
説明しても受け入れてもらえない。
彼らの正しい常識のうえにおいては、わたしの存在など間違えているのだろう。
けれど
わたしは生きている限り
汗も勝手にかくし、涙も勝手に出てくるのだと思う。
わたしの大切な人たちは
わたしが生きていること、そして彼らの側に在ることが
迷惑極まりないのだろうか。
もし、そうだとしたら
わたしは生きていてはいけないのだと思う。
死なないよ。死なないけれど…生きていられないんだ。わたしは。
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